~恐山で過ごした一夜~
皆さんは、【死】について考えたことはありますか?
毎日いろんな形で死亡のニュースは流れてきます。
事故・事件・有名人の死・災害死など…
きっと、一つ一つそこには無二のストーリーがあると思います。
私は、今回お坊さんの話から【死】について深く考えさせられました。
6月の青森旅行。
私にとって青森はただの旅行先ではありません。
母方の先祖が暮らした土地であり、
幼いころから身に着けていた猿賀神社のお守りにつながる場所でもあります。
今回は恐山で両親・姉・先祖の供養をすることが一番の目的でした。
看護師として私は今まで多くの死に向き合ってきました。
新人時代に担当した終末期の患者がいます。
「助けて」
その言葉を繰り返されてても、当時の私は未熟極まりなく何もできませんでした。
今でも死について考える時、その方のことを思い出します。 今の私ならどう応えるだろうかと。
そして、数年前には母を看取り、父とは突然の別れを経験しました。
恐山はあの世とこの世の境目のようなロケーションで、
生や死に対して考えるにはぴったりな場所だと思っています。
看護師としてだけでなく、
肉親を亡くした家族の一人として。
そしてカウンセラーという大切な人との別れに苦しむ方のお話を伺う立場として。
私は両親と姉を思いながら、法話を心待ちにしていました。
宿坊という所は旅館とは全く違います。
お寺の延長上で泊まらせていただいているといったところでしょうか。
また朝には法要があり宿泊者は参加します。
食事は精進料理で、部屋にはテレビはありません。
電波もほとんどありません。
本当に静寂という言葉がぴったりな場所でした。
日々過ごす中でこんな静けさの中にいることはめったにありません。
私は部屋で久々に夫と話が充実できたような気がします。
その日は、
ひどい暴風雨で、
本殿の奥には石が積まれている景色がたくさんあり、
ごつごつした岩肌の中に所々に硫黄臭が噴き出ている場所があり、
小道が通っていますが雨が水流となって歩ける状態ではありませんでした。
まさにその先は地獄か?
と、思える天気でした。
宿坊は立派な建築で雨が当たる音は聞こえてきますが、壊れそうではありません。 むしろ雨のBGMといった感じでした。
そして、夕食後に延命地蔵菩薩様の前での法話がありました。
法話では菩提寺の住職代理の南直哉さんが今年初めて法話をして下さるようで、
それだけで嬉しくなりました。
受付に置いてある南さんの本を購入し、ラッキーなことにサインをいただきました。
「禅僧が教える心がラクになる生き方」という本です。
本の中身と、法話がリンクしているところがあり感動しました。
南さんは、日ハムの森本コーチ似で、気さくでユーモアがある方で話に引き込まれる感じでした。
法話の中で印象的だったのは、
「人生で最大の仕事は死ぬこと」
という言葉です。
「人は生きて来たように死んでいく」ともおっしゃいました。
なぜなら死の正体を誰も知らないからだそうです。
死後の世界について語る方はいます。
けれど、本当のところは誰にもわかりません。
だからこそ、 人を大切にしながら、自分らしく生きることが重要なのではないだしょうか。
私は感動していました。
私は両親が亡くなってから、
死んでもお母さんが待っていると思うと怖くなくなったのですが、
その死も生も誰も正体はわかっていないというのです。
私は看護師として多くの方の最後に向き合い関わってきました。
だから【死】について考える機会は少なくなかったはずです。
私は死についてわかっているつもりでも、
本当は何も分かっていないのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。
「人生で最大の仕事は死ぬこと」という言葉には立ち止まされました。
ただ死ぬのではないんです。
いろんな関わりの中でどう生きるか、
どう死にたいか(どう死んでいくのか)は、
生き方によって全く違ってくるのではないか。
死は誰も経験を語ることができません。
だからこそ不安を感じるのです。
けれど、
同時に誰にも分からないものを必要以上に恐れ続けることもできないのかもしれません。
それぞれ同じ死、同じ生き方をした人はいません。
それは、それぞれ生きてきた人生が違うから。
どこで歓び、怒り、哀しみ、苦しむかも人それぞれ違います。
それぞれ違うからこそ出会い、
触れ合うことで人生が濃いものに変わっていくのかもしれませんね。
恐山で過ごした一夜。
私は亡き両親や姉、先祖を思いながら、生き死にについて考えていました。
結局のところ、
死の正体は誰もわかりません。
生きることの正体だって、きっと同じです。
だからこそ、人を大切にしながら自分らしく生きる。
転んでも、迷っても後悔してもいいじゃないか。
そのすべてを含め人生なんだよなぁと感じています。
いつか人生の終わりに立った時、
「あぁ、よく生きたな」
そう思えたら、バンザーイなのかもしれませんね。
翌朝、
暴風雨は嘘のように去り、
恐山の中の宇曽利湖は透き通る青を見せてくれていました。
その景色を見ながら、
なぜか泣きそうになりました。
人生には暴風雨のような時期があります。
それでも宇曽利湖のような景色が待っていることもある。
私はそんなことを信じながら、
これからもカウンセラーとして、
人と向き合っていきたいと思います。