あそこで土台ができたのだぁ
新人時代の痛~い時期
私の看護師1年生は東京の大学病院。 田舎者の私には、規模が何もかも大きかった。 新人看護師が、病院の全体で150人くらい入職したのかな。 私のステーションでも9人いました。 新人同士の名前も最初覚えられず。田舎者はそれだけで委縮していました。 見てると、なんかみんなそれぞれ名前とか知ってる人多いんですよね。 後で分かったんですけど、付属の看護学校出身が多かったのでした。 私は将来助産師を目指していたので産婦人科勤務の希望を出したら、 産科ではなく婦人科病棟勤務になっていました(苦笑)。 そこは、外科手術、化学療法、放射線療法何でもありでした。 そして、最も苦手だったのは記録でした。 なんか言葉にできないんですよね~。 記録とか計画とか人より遅かった感じです。 だから、いつも帰るのが遅かったんです。
突然の声かけ ある日、 21時ごろに寮に戻るとき神社前の歩道を歩いていたら、 「あなたどこの病棟?」 って、誰かが声かけてくるんですよね。暗くてよくわからなかったんです。 「どうして遅いの?」とかいろいろ聞かれたと思います。 そのうち、 顔が見えてきて… なんと看護部長だったのです。 話したこともありません。 (わぁぁっ)とドキドキしたことを覚えています。
そして悲劇!! 翌日、 病棟で師長に昨日部長に会ったか聞かれました。 私は素直に会ったことを伝えました。 その後、ステーションの空気が変わっていきました。 必要最小限しか先輩看護師は話してくれなくなったのです。 あの冷たい目は忘れられません。 私は何が何だか分からなくなりました。 そして、 新人の私だけが、 終了時間になったら、帰っていいよと言われ、 仕事が残っているもんだからしていると何度も何度も帰るよう促されるようになったのです。 ほかの新人は何も言われません。 私は気まずいのと、冷たい態度にどうして?という疑問が沸いて、 ただ、恐かったので誰にも聞けませんでした。 そのうち他の新人から、 看護部長が師長に早く帰すようにと命令が出たらしいと聞き、 当時で言えば、私は部長にチクった形(今で言うと密告?)になったになったわけです。 多分部長は良かれとしたことなのでしょう。 でも、先輩はみんな冷たかった。 何にも関わってくれなかったんだもの。 教えてほしいことだらけなのに聞きずらい。 ステーションの中にも居ずらい。 もうどうしていいかわかんない。 だんだん辞めたい気持ちになって。
居場所がない!! 私はそのうち、病棟の中をフラフラするようになりました。 その時に習慣になったことは、患者様と話をすること。 用事はなくても声かけて話していました。 患者様は受け入れてくれました。 そして、 患者様と世間話をしていく中で、 実は腰が痛いとか、 不安に思っていることとか、 話してくれるようになりました。
普段できないこいと 30分くらい腰をさすりながらいろいろ話したり、 足の指を丁寧に清拭したりしていました。 ただの時間つぶしのようにしていたフラフラが、 じっくり腰を据えて話を聞くことのすばらしさを実感したわけです。 私は、 いつの間にか患者様の話を聞くことがスムーズになり、 それが個別看護へとつながることとなったのです。 そして、話をする中で個別性が取れるようになり、 記録も徐々に楽になっていったのでした。
災い転じて福となす そのものでした。 おかげで患者様に寄り添う時間の大切さがわかり、 身に着けていったのですから。 あの時っていじめだったのでしょうか? 辞めたくなったのは確かです。 そのうち、 帰りなさいと、言われなくなりましたが。
「大丈夫」あなたは一人じゃない
ちなみに今日は新月。 月が見えなくなるので自らを振り返るのにいい日らしいですよ。
願い事や瞑想などで心とからだを整えるのにもいい日らしいです。 そして明日は春分の日。 太陽と地球と月が一直線に並ぶらしいです。 昼と夜の長さが全く同じ日。 この日を堺に日が長くなっていきます。 仏教では東に極楽浄土があり、最も近づくといわれています。
だからお墓参りするんですね。 明日はご来光を拝むために早起きするかな。 そうだ! ぼたもち食べよう。